大きな幟(のぼり)がたくさんたって、襷(たすき)をかけた中央の男性が出征なさるのですね。
写真には「昭和15年夏、27歳」とあります。出征というのは、戦争に行くことですね。
そうですよ。召集令状を受け、軍隊に入って戦地に行くことです。昭和15年ならば日中戦争でしょうね。当時私たちは、支那事変といっていました。
私も昭和15年頃、かわいがってくれていた隣のお兄さんが出征したのですが、前の晩には大人たちが別れを惜しむようにお酒を飲んでいましたね。お赤飯の赤い色が、やけにもの悲しく感じました。
私も昭和19年に出征したけれど、甘党だったので、実家では母が大きなぼた餅をこさえてくれていたよ。もち米も、小豆も、砂糖も貴重品だったし、最後かもしれないという複雑な思いでかぶりついたのを覚えているよ。
ところで、この出征の写真、ご本人以外はほとんどが女性と子どもですねぇ。
実はもう一枚、男性ばかりの写真があります。人数が多いので、2枚に分けたようですね。
出征兵士のお見送りには、親・兄弟だけでなく、親戚やご近所の方もみえますからねぇ。ご本人の隣がお母様でしょうか、中央の紋付羽織袴の立派な男性はお父様にしてはお若いので、ご長男かもしれませんね。女性は和服ですし、男の子は開襟シャツ、女の子はワンピースを着て、おめかしをしていますね。
子どもたちは、漫画「サザエさん」のカツオ君とワカメちゃんのようなヘアスタイルですね。
そうだわね。今はあまり見かけなくなりましたが、後ろを刈り上げたワカメちゃんのような髪型を、おかっぱというのですよ。当時私の周りでも、少女はほとんど、このヘアスタイルでしたね。もちろん、私も床屋さんでおかっぱ頭にしてもらってました。男子は、クリクリの坊主頭でしたね。
出征の日は、何か式典でもしたのですか。
その土地によって違うと思いますが、私の経験では出発の朝近くの鎮守さまに武運長久をお祈りしてから、町内の人たちが集まって小学校や駅前などで壮行会をしました。出征する人の紹介、お祝いの言葉や激励の言葉、ご本人の挨拶があって、万歳三唱でしたかね。
そうだった。私の頃には壮行会も小規模になっていたが、それでも寄せ書きの旗をもらって、「いざ征(ゆ)け つわもの 日本男児」という威勢のいい歌詞の軍歌で送り出されたよ。
歌いましたね。「出征兵士を送る歌」ですよ。
あと、女性たちは、大切な人の無事帰還を祈って、千人針を作りました。
千人針って、なんですか。
腰に巻けるぐらいの長さの白い布に、朱肉で1000個の印を付けておいて、その上に赤い糸で玉結びを作ってもらうのです。一人一回しか針を刺せないのですが、寅年の女性は歳の数だけ結び目を作ることができました。これは、「虎は千里を行き、千里を帰る」といわれているからだそうです。「死線(四銭)を超える」という語呂合わせで、五銭硬貨を縫い込んだりもしましたね。人通りの多い所では、前に進めないくらい頼まれたこともありましたよ。
千人針が心強くて力になったという人もいたが、シラミがつくので嫌がって巻かずに持っていた人もいたよ。
ほかに何か送ったりしたものはありますか。
慰問袋といって、戦地の兵隊さんに喜んでもらえそうな石鹸などの日用品や煙草、キャラメル、缶詰などの嗜好品、食料品と、お守り札や子どもたちの手紙や絵を入れて送りました。
慰問袋は、もちろん家族や友人に送ることもありましたが、学校などから集団で戦地の不特定の兵隊さんに送ることもあったのですよ。
僕には遠い昔のことのように思えますが、やはり終戦記念日などには思い出されることも多いのでしょうね。
私は8月15日の終戦記念日よりも、秋の風が吹き始めるころになると、あの頃のことを思い出すね。襷をかけて見送られた時の、風の匂いだよ。
私は軍歌を聞くと思い出すの。だから、軍歌は歌いませんよ。皆、それぞれの思いがあるのですね。
昭和というひとつの時代を手がかりに、記憶をたどってもらうこのコーナー。
今回、紐解いてもらう「昭和」は「出征」です!