若いお嬢さんたちがキューピーさんを抱いて、写真館での撮影ですね。
写真館での撮影なんて、何か特別なことがあったのでしょうか。
写真の裏に、昭和19年3月と書いてありますね。その頃は、カメラがあまり一般に普及していませんでしたから、写真は写真館で撮ってもらうのが当たり前だったのですよ。戦争中でしたから、いつ離れ離れになってしまうかもわからないでしょ。家族や仲の良いお友達と一緒に写真を撮っておきたいという気持ちは強かったですね。それすらも空襲で焼けてしまうことが多々ありましたから、これは青春の大切な一枚なのではないかしら…。
写真館できちんと撮った写真も、いいものですね。でも、この女性は、なんでキュ―ピー人形を抱いているのかな〜。
地方によって違うかもしれないけれど、3人で写真を撮ると縁起が悪いというような迷信があってね、そういう迷信を気にする人もいるので写真館にはぬいぐるみやお人形さんが置いてあったのですよ。で、3人だと、持たされちゃうのよね。
そうそう、私も戦前に友人3人と写真を撮りに行って、弱ったことがあったよ。学生服姿の男子がぬいぐるみのような人形を持たされて、恥ずかしかったな。
その写真を、見せていただきたいですね! ところで、昭子さんたちにとって、キューピー人形は身近な存在だったのでしょうか。
そりゃあもう、幼い頃にはよく遊びましたよ。私は姉と洋服を作って着せ替え人形のように遊びました。ちりめん紙って言ったかしら、今でいうクレープペーパーだと思うのだけれど、その細かいシワの風合いを生かして首の下から段々になったドレスを作ってあげるの。少しお姉さんになると、リリアンや毛糸でセーターなどを編んだりもしました。正ちゃん帽という、てっぺんにボンボンのついた毛糸の帽子も編んであげましたよ。
私はいつも妹をおぶわされていたけど、それでもキューピーさんを赤ちゃんにしてお母さんごっこをするのが楽しかったわ。
私は、姉たちにおままごとの相手をさせられるのがいやだったね。そういえば、「ドン チャップ ドン チャップ キューピーちゃん」っていう歌があっただろ。あれは確か、振り付けがついていたよ。それも、踊らされたような気がするなぁ。
そうそう、野口雨情の「キューピー・ピーちゃん」(1930年)ですよね。同じ雨情の「青い眼の人形」(1921年) もキューピーさんのことらしいですよ。「アメリカ生まれのセルロイド」ってあるでしょ。それから、「キューピーさん」(1924年)という歌もあったわよね。
キューピー人形というと僕はソフトビニール製だと思っていたのですが、セルロイドでできていたのですか。
当時のキューピー人形は、セルロイド製でしたね。なんでも日本にはセルロイドの主要原料となる樟脳が豊富にあったということで、昭和の初めにはセルロイドのキューピー人形がたくさん作られて、ブームのようになっていました。わりあい安価だったので、買ってもらいやすかったのだと思います。
セルロイドの人形は、大きくても軽いのよ。加工もしやすいし、大量生産が可能で、きっとカラフルな着色もしやすかったのでしょうね。私のキューピーちゃんの肌は濃いピンク色だったのですもの。
えっ!全身、ピンク色ですか?
そうなの。今から考えるとちょっと驚いちゃうわね。でも、セルロイドは光沢があって真っ黒のも、黄色のもいたわよ。
昭和10年頃には、アメリカ映画の子役スターだったシャーリー・テンプルちゃんや、漫画のキャラクターのベティさんも大人気でお人形になっていたけど、私はやっぱりキューピーちゃんが一番好きだったわ。ぽっちゃりした幼児体型にとんがり頭、背中には小さな羽があって、白と黒で描かれた目がクリクリっと可愛らしいのよねぇ。
うれしい時も、泣きたいときも、いつもキューピーちゃんがそばにいてくれましたね。
大切なお友だちのような存在だったのですね。
だから、妹が誤って踏んで、つぶれてしまったときは悲しかったわ。セルロイド製のピンポン玉はへこんでもお湯につければ元に戻るのに、何故かキューピー人形は直らなかったのよね。
キューピー人形は、きっと関節などから中の空気がもれてしまって、うまく膨張しないのだろうな。
それでも、へこんだところにお帽子をかぶせてあげて、ずっと一緒にいましたけどね。
昭和というひとつの時代を手がかりに、記憶をたどってもらうこのコーナー。
今回、紐解いてもらう「昭和モノ」は「キューピー人形」です! では、昭子おばあさん、和夫おじいさん、よろしくお願いします。