![こんにちは!村田裕子です。
2006年より新コーナー開設!
ここは、ひとことでいうと村田裕子の部屋。
福祉の枠にとどまらず、自由に生活者の視点で心に残った輝きを綴っていきます。
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暇に任せて、日に何度も足の裏を眺めている。踵を覆う白いパッドに滲む血を眺め、さらにそのパッドをそっとめくっては3cmほどの傷口を眺める。この夏、左足の踵にあった7oほどの大きさのホクロを切除したのだ。
もともと、踵の傷は治りにくいので、日帰り手術後2週間は自宅安静と医師に言い渡されていた。私は片足の踵を着けなくても過ごせるようにと、コロコロ動くキャスターで室内を自在に動き回れる事務椅子や、座面が360度回転する高さ38cmの風呂用椅子まで購入し、術後の生活に備えた。
手術は、順調だった。病棟受付で、名前確認とともに「手術をする場所はどこですか?」と看護師に聞かれ、左足の踵と答えるところを「えー!手術室はどこって…、私が答えるのですか?」とうろたえてしまった以降は、すべてスムーズに進んだ。BGMに杏里のカバーアルバムを選んでくれたベテランの看護師が、気を紛らわすように話しかけてくれたおかげで、高めだった血圧も程なく正常値に落ち着いた。痛いと聞いていた局所麻酔の注射もさほどではなく、私はただ医師を信頼して足を投げ出していればよかったのだ。
翌日からは、驚いたことに石鹸で傷口を洗い、消毒するようにとの指示だった。眠れないほどの痛みに襲われることもなく、毎朝目覚めるごとに腫れがひき、えぐられた部分がグングン盛り上がってくるのを感じる。幼い頃母に聞かされた、日ぐすりという言葉を思い出した。病を治す「時の力」ということだろう。事務椅子でコロコロ移動する暮らしから、つま先をつけてピョコタン歩けるようにもなった。しかし、手術から2週間が経ち、明日はいよいよ抜糸だというのに、肝心の傷口が塞がっていなかった。
結局7針のうち細い3本の糸だけの抜糸となった。糸を切られた傷口は、血にまみれてぽっかりと口を開けている。とはいえ、ホクロも良性だったし、傷が化膿したわけでもない。あとは日ぐすりに頼るのみだ。実を言うと、このとき私は、次の抜糸までの2週間、バケーションが延長されたような気分になっていた。日常のわずらわしさから開放され、大威張りで家にいられる生活が、私にとっては思いのほか快適だったのだ。
ただし、ここからの日ぐすりの効果は、ゆるやかだった。傷口は盛り上がってきた肉に支えられ固まりつつあるものの、血液交じりの体液は白いパッドをオレンジ色に染めていた。手術から4週間後、まだ踵をついて歩くこともできない状態での抜糸となった。糸がとれた分、チクリとツレることもなくなったが、傷口は完全に開ききってしまった。あとは、固まるのを待つしかない。
さすがに1ヶ月を過ぎれば、家事や仕事にも影響が出始める。筋肉が落ちて細くなっていく左足や、それに反比例するように贅肉のついてきたお腹周りも気になってきた。しかし、かの貝原益軒先生の養生訓にも「病を早く治せんとして、いそげば、かえってあやまりて病をます」とあるそうな。ここはひたすら日ぐすりの効能を信じて、踵の傷とにらめっこし続けるしかあるまい。ちょっと違うけど、免疫力が高まることを信じて、「笑うと勝ちよ。あっぷっぷー」