![こんにちは!村田裕子です。
2006年より新コーナー開設!
ここは、ひとことでいうと村田裕子の部屋。
福祉の枠にとどまらず、自由に生活者の視点で心に残った輝きを綴っていきます。
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「真田伊豆守の行列は、保基谷(ほきや)・高遠(たかとお)の山脈に抱き込まれたかのような松代の城下町へ、しずかにすすんで行った。 (完) 」
武田信玄没後の武田家崩壊から約40年にわたる真田昌幸、信之、幸村父子の興亡と生きざまを描いた『真田太平記』(池波正太郎著・朝日新聞社発行)は、全16巻もの長い物語をこのように締めくくっている。父にも弟にも、妻にも先立たれた真田伊豆守信之は、二代将軍・徳川秀忠に命じられた国替えにより、多くの上田町民に見送られて松代へと向かったのだ。
その真田信之の後ろ姿に導かれて、この夏信州・松代を訪ねた。三方を北信濃の山に抱かれ、前面はゆったりと流れる千曲川に寄り添うようにある町。信之が礎となって築いた真田十万石の城下町・松代。シックな町並みの随所で見かける六文銭は、もちろん真田の家紋。武家屋敷、長屋門へと続く白壁は、まぶしく夏の日差しを照り返し、足元に巡らされた水路が清らかにきらめく町だ。
復元された松代城跡に立つと、気持ちよい風が吹いていた。私は広く真っ青な空に向かって、思わず大きく手を伸ばした。それは、いつまでも吹かれていたい、清々しく優しい風だった。
真田家の大名道具が収蔵、展示されている真田宝物館には、信之所用の鎧(かぶと)や鐙(あぶみ)、鉄扇などの武具や、徳川家康が信幸(之)に宛てた書状などが400年の時を超えてそこにある。思慮深く堅実な人柄が伝わる信之自筆の書からは、その息遣いまでもが聴こえてくるようだ。信之以降、明治維新までの240余年を守り通した、真田家代々の藩主たちの横顔にも触れることができた。
さらに私には、ここ松代でどうしても訪ねたい場所があった。第二次世界大戦末期に、軍部が本土決戦最後の拠点として極秘に掘り進めた松代象山地下壕。そして、皆神山の麓にある古刹・明徳寺。この寺には、同じく第二次世界大戦末期に本土防衛の最前線・硫黄島で地下壕を掘り、そこを陣地として懸命に戦った栗林忠道総指揮官が葬られている。先月『夏の宿題(*)』として読んだ「散るぞ悲しき〜硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子著)という本がご縁だ。私は持っていたペットボトルの水を墓に供えた。
この町には、文化財を生涯学習の中に取り込もうという「エコール・ド・まつしろ」という活動がある。その一環だろうか、ボランティアの人が多く、道に迷っていると気軽に声をかけてくれる。千曲川の川岸でとれるという特産品の長芋までもが、ほんわり優しい味だった。
領民や家臣たちに幸せをもたらすべき重荷を背負い領主として生きた真田信之も、水涸れ、弾尽きる硫黄島で死力を尽くし任務を果たした栗林忠道中将も、今はこの松代の穏やかな風の中にいる。 合掌