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幻の青い花

 その花に出会ったのは、5年前の冬だった。
 強い風の吹く午後、ちょうど箱根にいた私はあの美術館へと向かった。目的は、絵画鑑賞というより、展望ティーラウンジで熱いコーヒーを飲みながら眺める富士山。
 こんな日は、芦ノ湖の向こうに輝く真っ白な富士を望めるはずだ。その景色は、なによりも心を晴々としてくれる。そして、体力も根性もない私は、一生登ることもないであろう富士の頂に想いを馳せる。
 とにかく、いつものように奥のラウンジに直行、するはずだった。

 …のだが、そこで私は一枚の花の絵に引き留められた。目が、足が、心が、引き寄せられてゆく。
 媚びることなく、無垢な気高さに輝いた一株の青い花が、無邪気に微笑みかけてくるのだ。濃いブルーの花びらに、鮮やかな黄色の花心。丈は短く、葉にも茎にも蕾にも太くたくましい刺がいっぱいについた花だった。
 ご本人が書かれた雑誌の抜粋によれば、日本画家・堀文子氏はこの花にあこがれ、82歳にしてヒマラヤの標高4000〜5000メートルもの地点までヘリコプターで向かい、酸欠に朦朧となりながら縺れる足で崖を登って、岩場に身を隠すように咲く花と対面したそうだ。そうして、私を惹きつけた『ブルーポピー』の絵が誕生した。
 この見たこともない不思議な花は、ヒマラヤの山岳地帯に自生する青いケシ。厳しい自然の中でも群れることなく、人を寄せつけずに咲くという幻の花だった。
 ちょうど初めての著書の執筆が終盤を迎え、少しばかり行き詰っていた私は、この絵から多大なるパワーをいただいた。ヒマラヤの青いケシに、そして堀文子氏にあやかりたいと、『ブルーポピー』の複製画や関連グッズを買いあさった。
 本来ならば、「いつか私もヒマラヤへ行って、青いケシの花と対面するゾ!」と盛り上がりたいところだが、なにせ目前にある富士山の頂でさえ想いを馳せるに留まっているのだ。
 以来、私にとって「ヒマラヤの青いケシ」は、不可能という言葉の代名詞ともなっている。

 ところがつい先日、私は幻だったはずのヒマラヤの青いケシに、出合ってしまった。場所は、箱根湿生花園。品種が違うのだろうか、こちらのケシは茎丈がヒョロヒョロと長く、透き通るような淡い水色の花を咲かせている。しかし、正真正銘の青いケシに、私はデジカメのシャッターを押すこともできず向き合った。
 遠いヒマラヤから人々の思いによって運ばれ、大切に育まれてきた青いケシの花は、多くの人に愛でられて、少し恥かしげにうつむいていた。

2006.06│PermaLinkProfile
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