−アサラマレコム通信NO.2−
アフガンとパキスタンで本格始動開始!
■啓蟄(けいちつ)の時■
事務所の開所式から3ヶ月経過した7月から、ようやく活動が動きだしたという
感じ。
まずは、7月16日にスタートしたコミュニティ文庫。事務所のそばの民家の一
室を借りて、収集できたパシュトゥン語(この国の公用語のひとつ。もうひとつ
はダリ語)の絵本を中心に100冊ほど並べてある。当初、子ども達が来るのか
心配していたが、初めてみるとドンドン押し寄せてくる感じで、部屋のなかに入
りきれず、急きょ外にござをひいた。たぶん、生まれて初めて手にする絵本なん
だろうと思う。女の子だと12歳ぐらいの子どもまでいる。何人か感想を聞いて
みたが、絵本の絵が素敵で面白いという。
一方、デライヌール郡での移動図書箱活動は、7月6日にスタート。この郡は、
ナンガルハル州の最北端で車輌の入らない地区もあり、そんな時は、図書箱を担
いで、1時間ほど歩いて活動地へ向かう。ようやく着いたマジガンドール村が記
念すべき活動第1号の村だ。子どもたちの視線が木製の図書箱に集中する。箱を
開いた瞬間、みな不思議な顔をしていた。図書箱といっても10冊くらいの絵本し
かない。図書館スタッフのカベールが絵本の解説をした後、読み聞かせを始めた。ど
の子も真剣なまざなし。ただ、この地区はパシャイ族の居住区であり、パシャイ
語という少数派の言葉を話す民族で、パシュトゥン語がわかるのは、子どもで6〜
8割だと言う。何か絵本を楽しむというよりも、きつねにつままれたような、神
妙な顔で絵本を真剣に注目している。カベールは教師出身というせいもあるかも
しれないが、語り口調で演説をしている感じ。典型的なアフガンの先生のようだ。
初めての読み聞かせはお互いにとって不思議な感じの出会いだった。
どちらの活動も実は当初の計画にはなかったもので、学校の先生へのワークショッ
プを実施して、そこから絵本を配布しようと考えていた。しかし、いきなりワー
クショップをしても、先生の方の傾向はつかめないし、絵本も配布するだけで終
わってしまう可能性が高い。移動図書箱活動を通して、先生方とコミュニケーショ
ンをはかりながら少しでも良い活動ができたらという思いから急きょ、始めたも
のだった。また、コミュニティ文庫は、いわゆるアンテナショップ的な側面があ
り、子どもの好きな絵本の傾向をつかむのが主な目的。イスラム圏で活動する以
上、慎重になりながらも、何が良くて何が悪いのか、様子を把握したいと言うの
が率直なところだ。
また、この間収集したアフガン独自の民話が80タイトル以上になり地域の見
識者で編集委員会を開き、最優先に出版する絵本5タイトルを選定。絵描きも決
まったので、絵を描く作業に入る。学校建設は2箇所の地区との正式な覚書を結
んだので、後は教育省サイドのOKが出れば、着工となる。
今の状態は、冬眠から目覚めた昆虫のようで、ようやく活動が始まった感じで、
まさに啓蟄(けいちつ)の時だ。
■パキスタン側でもアフガン子どもセンター(ACC)のスタート■
一方、国境を越えたパキスタン・ペシャワールでも、7月14日にアフガン子どもセンタ
ー(ACC)をスタートさせた。今までは、2001年12月からペシャワール近
郊のアフガン難民キャンプで、生活状況の厳しい子ども達を対象に活動してきた。
しかし、難民帰還の動きと共にキャンプの縮小・廃止が相次ぐ反面、アフガン難
民の市場であるボード地区には、いまだに多くのアフガン人が生活していて、パ
キスタン国内に100万人以上滞在していると言われている。その子ども達の半数
は学校に行っていないというデータ(ユネスコの発表)もあり、路上で日銭を稼
ぐ子ども達も多く、そのような子ども達の少しでも安らぎと学びの場になればと、
活動地を難民キャンプから町の中心部に拠点を移し、再スタートさせた。ACC
には、小さいな図書室と子ども達が学んだり絵を書いたりするフリースペース、
また、医療スタッフもいて子ども健康・栄養チェックもしている。
ペシャワールでは、ほとんどの海外のNGOが撤退、もしくはアフガン国内に
拠点を移している。すでにパキスタンから160万人以上が難民帰還したといわ
れているし、ここにいてもNGOとして資金的な裏づけが難しいから、活動継続
をしない理由も分からないでもない。でも、やはり、事情があって帰還できない
アフガンの人々もいるのは事実である。
ふと、神戸で事業展開していたときを思い出した。95年1月阪神・淡路大震災
が発生した際、私は神戸に派遣されたが、3ヶ月もすると、回りには外部から来
たNGOは、ほとんどいなくなってしまった。でも、被災された方にとっては、
そこからが生きるための本当の闘いのはじまりだった。外部の関心が薄れ、取り
残されていく不安、そんなことをまのあたりに見ていてから、ここに残されてい
る人々の気持ちがおぼろげながら想像できる。
ACCで出来ることは、本当に些細なことかもしれないが、子ども達によりそ
い、彼の誇りと生きる希望を保つ、そんなお手伝いが出来たらと思う。
■セキュリティのその後■
最近、少しは落ち着いているが、それでも、いろいろな噂が飛び交う。外国人
ねらいの誘拐の声明が出されているとか、国際NGO、外国人を狙った犯罪があ
るなど、事欠かない。ちょっと前の話になるが、5月下旬には、近くのフランス
系NGOに手榴弾が投げ込まれ、6月にはISAFのドイツ兵への自爆テロで数
人が亡くなった。隣接するクナール州では、アルカイダ・タリバン撲滅のキャン
ペーンの名の元でいまだに米軍が攻撃を展開しているし、7月にはパキスタンと
アフガンの国境で紛争が続いていた。
以前は、本当に世間知らずだったというか、一人で市場を歩いたこともあった
が、今は、200メートル先の事務所に行くにも、必ず、アフガン人のガードが
つくことになっている。
他の国であれば、もっと積極的に異国の人と仲良くするように自ずと心がける
が、ここだと近所の人ですら、その人の背景を知らないと親しくなるのを一歩ひ
いてしまうところがある。また、NGOを名乗っていても、宗教、軍閥または政
治団体、土建屋であることが多く、初めて会う人に警戒するよう自ずとバリアを
はっている。
地方に出かけるにしても、事前に連絡すると万が一情報が漏れて、攻撃のター
ゲットになる可能性があるので、あえて知らせないで現地に行くと考えることも
ある。この閉塞感はなんだろうと思うこともある。
■アフガン人と向き合うと言うこと■
アフガン人と付き合うしんどさに、徐々に身にしみているのが今かもしれない。
アフガンに初めて来た人は、困難な生活の中での人々の礼儀正しさ、客人歓待に
感動して帰るという。まさに、昨年の自分がそうだったように。
ただ、住んでみると結構しんどい部分もある。アフガン人というよりも、パシュ
トゥーン人のしんどさと言った方が良いかもしれない。過ちは認めない、白を黒
と言い張る、メンツをつぶすとしつこいくらい根に持つ、人の噂話は大好きで誹
謗中傷は当たり前など目についてしまう。自分も相当アフガン人気質が移ってき
たような気がする。日本人的な親切心はさらに要求を突きつけられることもあり、
最近は例外は一切つくらないようにしている。
ただ、一歩ひいて考えれば、この国は最近に限らず、アレキサンダー大王の遠
征をはじめ、絶えず戦乱の中にいた国だ。外圧と戦っていた国である。日本のよ
うに、地理的に世界のはずれでそのような外圧にほとんど合わなかった国の人間
のタイプは極端に違って、当たり前だと思う。
こんなことを書くNGOスタッフは、失格だと思うし、自分の短絡的な見方を
反省することも多々あるが、東南アジアと違って、相当したたかでないと務まら
ないのも事実だ。
アフガンを好きになる人ときらいになる人は、はっきり分かれると言う。自分
はどっちだろう?今が正念場だと思う。
番外編
■恋をするのは命がけ■
その1)実の兄に殺された妹
数年前にあった話。ある娘が男性と親しくなったのが発覚。海外にいた父親の
耳にその話が入り、国際電話で兄にその日の内に妹を殺すように指示したと言う。
家族が全員が家に集まり泣きながら別れを惜しんで、兄が実際に殺害したと言う。
その相手の男性は今でも海外逃亡しているらしい。実の娘を殺すほど、結婚前の
女性が男性と付き合うことは、生きていけないほど恥だと認識されているらしい。
その2)クナールであった話
ある独身男女が恋仲になり、それが村で問題になって、ジルガ(長老会議。そ
の決定が絶対的な力をもつ)を開いたが、その決定は、「村を出て行って、パキ
スタンに行くのなら、許してやる。」というものだった。しかし、女性の家族が、
そんなことは恥ずかしくてできないと思い、村を離れようとした二人を射殺した
という。
■何事も賄賂(わいろ)が大切■
「やっぱり、コラプションだよ!」
アフガンで覚えた日常会話で、賄賂(わいろ)だと知った。
例えば、電気の供給の話。停電は当たり前で、10日間で2日間しかこない時も
あった。以前は、事務所に関しては日中は必ず電気を貰える証明をもらえた時期
もあったが、州の電力局にある日突然「この証明書の期限は終了。」と断られた。
アフガン人のスタッフに聞いたら、上記の言葉通り、わいろを要求しているに決
まっていると、当たり前のように言う。電気には、2種類あって、政府が管理し
ているもの、軍閥が管理しているものがあって、軍閥のものは、賄賂さえ払えれ
ば、24時間電気が来るという。相場は、4〜8千円くらいと聞いた。
アフガン人は、パキスタンに住んでいる人も多く、パスポートがないと国境を
越えるのに、ちょくちょく、わいろを使っていることも多く、わいろを使うこと
に生活の一部として慣れている部分もあるかもしれない。
■下痢、虫さされの次は?■
気温が50度近くになる割には、湿度が10〜20%しかない時もあり、足の裏がか
さかさになった。鮫肌というのか、ジュウタンに引っかかって、出血することあ
り、急きょ、パキスタンで購入した怪しいクリームのお世話になった。なんとか、
一ヶ月間塗りつづけて、ようやく収まったが、それにしても、足の裏が荒れるな
んて意外だった。
■休みの日の過ごし方■
休みといっても、行く場所は特になし。そんな勝手に出歩けないし、かといって、
室内ですることも限られてくる。もちろん、お酒は禁止だからバーもあるわけが
ない。結局、事務所でたまった仕事をしてしまうことも多い。他の事務所でボー
リングやカラオケに行ったという話を聞くと、同じ活動地でも、こんなに生活環
境が違うのかと思うときもある。
ちなみに、唯一の休日のゴールデンコースといえば、アフガン人のアシスタン
トとドライバー(もちろん、両方とも男)と共に、日用品を買いにマーケットに
行き、そのアシスタントの親戚のところでビリヤード(実は、最近、全面的に禁
止になった)をやらせてもらい、唯一のハンバーガー屋(アフガン料理以外はこ
の店一軒のみ)で昼食をたべ、唯一のアイスクリーム屋(アフガンアイスでない
もの)でアイスを食べる。でもアイスクリーム屋で不思議なのは、客は男ばかりだということ。男同士で「このアイスクリームおいしいネ。」と言いながら、お互いの
アイス自慢をするのも、何か変な感じがしないでもないと思っていたが最近は慣れてしまった。
■出張と転勤■
たまに妻からメールが届くことがある。最近、私の子ども(8歳娘、6歳息子)
が、9月下旬の所長会議で帰国したら、もう私がアフガンに戻らないと勘違いし
ていたことがわかった。実は、転勤でしばらくは帰ってこないということを理解
して、若干だけどもショックだったらしい。その話を聞いて、こちらもちょっと
どう対応すべきか悩む。子どもたちを動揺させないよう数回の長期出張に行くと
いうことで押し通そうとしたことが過ちだったと反省する。いつもそばにいる時
は分からなかったが、やはり離れて暮らすことは辛いし、教育関係の仕事だということもあり、現地でも
自分の子どもと同世代の子どもを見るから、なおさら、思い出してしまう。今は、
わが子にどんなメッセージを送るか悩むときでもある。