−アサラマレコム通信NO.1−
「ハジババと1000頭のロバ」その後
■無事に開所式。事務所の近況■
4月19日、小雨の中、開所式がスタート。こちらでは、雨が降ったり曇ったりするのは、運が良いらしい。ただ、時間になっても、参加者が揃わず、ひやひやした。しかし、結局スタッフも含めて、40人くらいが参加した開所式を無事に終えることができた。
現在のスタッフは、日本人2人を含めて14人。ネジャットセンターの現地代表のワヒド氏をはじめとして、図書館関係スタッフが4人と総務・経理が1人、コック1人、チャウキドール(警備員+何でも屋さんのことで、この地域独特の仕事)が5人。やけにチャウキドールが多いようにみえるだろうが、これは、治安上のことから、事務所と宿舎(事務所から100m離れている)に24時間、警備をはりつけるための最低限の人の配置だ。
イラクへの米英軍の空爆の影響で、地方への調査・視察が1ヶ月間不可能だったこともあり、ようやく活動が再開した感じ。
1月から2ヶ月間いて、事務所立上げ、スタッフ採用を行なっていたが、アフガニスタンの地方都市では、事務所を1から立ち上げることが、こんなに大変なことかと身にしみた。首都カブール以外では、お金を送金したくても銀行がない(マネーチェンジャーというシステムもあるが問題もある)、電話も衛星電話のみ、もちろんFAXを送れる場所などない。緊急救援の時は、ある程度、現地のNGOが手配していてくれたこともあり、スムーズに進んでいたように見えた。しかし、いざ、物事をすすめようとするとこんなにも進まないと思わなかった。
例えば、NGO登録が2月下旬(書面では2月8日になっている)に終わったが、登録に際して、はじめは外務省に行き、その後計画省、最後にアフガン財務省とアフガン銀行(カブールにあったが、他の地区にあるかは不明)に行ってNGO登録料を支払い、最後にNGO登録証を貰いにいくが、遅々として進まない。サインひとつ貰うのでも、1時間待たされたり、お金の振込みでも、9箇所の窓口を回ってようやく終わる。自分がすごろくのコマ(「1回休み」「ふりだしに戻る」ことが多い)になったと思うと諦めがついた
事務所の修復にしても、工事が全然進まなかった。見ていると仕事をするが、見ていないと何もしない。日本人的に言えば、早く仕事をして、次の仕事を見つけた
方が良いのにと思うが、そういう感覚は通じない。日本人がこの国で仕事をする時の大切さは、「ねばり」「あきらめ(気持ちの切り替え)」
「しつこさ」かと思う。もちろん、日本的な時間の概念は捨てないとイライラしてしまうし、行き当たりばったりなのも受け止めなければならない。これも、短
気な私の人間修行の場と思えば、なんという試練を頂いたのかとありがたく思う。
■信頼できるということ■
ネジャットセンターと緊急救援に引き続き、協定を結んで仕事をしているが、やはり、現地の人と仕事をするというのは、そう簡単ではない。例えば、スタッ
フ採用でも、学校建設専門家を雇うのに、その専門性をどう考えるかということが議論になっている。こちらから見れば、例えば、6教室の学校を建設するのに、
資材がどれだけ必要だとか、現地でもきちんと見分けられるような人が必要だと思うが、アフガン人からみれば、まずは、信頼できる人が最重要だという。アフガンは戦争が20年以
上続いたから、そんな専門家はいないし、専門家がいたとしても現地に行かずに事務所にいるだけの高給取りだという。お互いの主張は、当たり前のことなので、信頼できる人で専門
性がある人というと以外にいない。
また、こちらでいう「信頼できる人」は、要は、日本人から見れば、親戚や同じ地域の人である場合が多い。以前、図書館スタッフの募集をある人にお願いしたら、応募した人全員が同じ郡の出身者だった
ことがあった。また、こちらが地縁血縁で固めることを避けていることを知ってか、採用した後で、親戚同志だったことが分かることもある。改めて感じるのは
アフガニスタンは、地縁血縁社会ということ。誤解を恐れず言うと、公私混同前提で成り立っている社会だということだ。他のNGOの人に聞いても、や
はり同じ問題を抱えていた。あるNGOでは、コネでくる人は仕事が出来ない人も多いし、辞めて行くのも平気だという。また、他のNGOでは、採用したスタッ
フが全員親戚で事務所移転を機に全員解雇したという。ただ、単に親戚だから悪いというのは、この国では言い切れない。彼らの文化を受け止めながら、やはり
教育を通して、この国を何とか再建したいという熱い思いを持った人間もたくさんいるし、そういう人を発掘し、応援する仕事が出来たらと思う。
ネジャット・センター代表のカシム・ザマニ氏曰く「アフガン人にとって、些細なことは、日本人にとっては大問題。日本人にとって些細なことは、アフガン
人にとっては大問題です。」
■一日2回ホッとする■
夕方、アフガン人スタッフが仕事を終えて帰るのを見送る時が1回目にホッとする時。特に、図書館スタッフのカベールは、「I come!」と私の部屋にやって
きては、「I go!」と直立不動で挨拶していくからこちらも心が和む(ちなみに、以前彼は先生をしていたが、1年以上給料が支払われず、SVAに移ってきた。
初めて給料を受取った時の笑顔は今でも忘れない。とにかく、心が洗われる感じ)。立場上、スタッフが無事に仕事を終わらせて見送れるのが、なんかホッとできるし、その後は事
務処理に専念できる(昼間は、ほとんど仕事にならないので)。
2回目のホッとするのは、朝起きた時だ。朝起きて、宿舎を見渡し、チャウキダールにおはようを言い、無事に朝を迎えられたことに感謝する。
先日も我が事務所の前の国連機関に手投げ弾が投げ込まれた(けが人なし)。その前の週には、州内のユニセフ事務所にも手投げ弾が投げ込まれた(夜間に行
なわれることも多く、その多くは威嚇と推測されている)。毎週、何かしらの爆発音が聞こえる。それは、ある時は、単なる祝砲(結婚式とか)であったり、地
雷処理であったりする。日本では、ちょっとした爆発音でも驚くよとアフガン人スタッフに話したら、ここでは、爆発音がしないとみんな心配するという冗談が
でるくらいだ。ジャララバードの街は一見平穏だし、市場には物も溢れているし、自由に行き交いが出来ているようにも思える。しかし、軍閥が幅を利かせている
し、中央政府との対立関係も微妙で、このバランスが崩れたときが危ないと思う。
もしかしたら、布団に入って寝入るまでが一番緊張しているかもしれない。夜間でも上空を通過する米軍機の音、真夜中の循環警備車のエンジン音、静けさの
中にも不気味さが広まる。緊急救援の時には宿舎もなかったから、いつも数人のアフガン人と雑魚寝状態だったので、ある意味では守られていた。
この国では、事業をきちんと展開することと共に、それを支えるセキュリティに気を使うのが、いかに大切かを感じた。
アフガニスタンと私は、緊急救援から今までがいわば「お見合い」みたいのもので、今年から無事に「結婚」したという感じ。今まで、相手のことを知っていた
つもりが、実は表面しか見ていなかったことがたくさんあったことに気づく。でも、「結婚」はゴールでなくてスタートなのだから、これからが創り上げていくことが大切だと思う。
今、日本ではイラク報道一色なのか?アフガニスタンの復興は、まさにこれからだ。
番外編
■アルコールは飲める?■
皆さんから頂くご心配で一番多いのは「イスラムの国はお酒が飲めなくて大変ですね」というもの。しかし、それは誤解というのが最近わかった。カブールに
ある外国人専用のマーケット(シュプリールという名前)に行き、ワインやビール、ウィスキーをケースごと仕入れる。ジャララバードからそんなに頻繁に行け
ないので、国連の知り合いが行くときに知り合いにのみ注文票が回ってきて、それで共同購入する(日本の生協みたい)。ちなみにハイネケンビールが350C
Cで140円、ジャックダニエル(1リットル)が2200円くらい。ただ、アフガン人の目に触れると誤解を受けるので、スーツケースの中に保管してあって、
飲むときにはスーツケースから出す。
■アフガン男性にとって、洗濯・料理は屈辱か?■
事務所のアフガン人の中でトップのローカルコーディネーターであるワヒド君は、28歳と若いし、伝統的な社会の中でも、新しいうねりを作ってくれそうな頼もしいさ
はある。彼は共同生活のメンバーでもあるが、絶対に自分で洗濯・料理はしない。洗濯機を使えばすぐ出来るのに、すべて洗濯屋に出している。なぜ、しないのか
聞いても、それだけは出来ないと繰り返すばかり。要は、男性はしないものらしい。最近は慣れたみたいだが、当初、私が自分で洗濯していると、他のアフガン人が驚いて見ていた。男性が洗濯・料理をすれば、この国は変わるかもと思うのは私だけだろうか?
■「対ソ連戦勝記念日」に負けた?■
4月28日は、アフガニスタンの対ソ連戦勝記念日。各地でイベントが行なわれていた。ただし、その時に爆弾が仕掛けられる可能性もあるので、あえて外出は避けたが、なんと、その日から腹痛になり、トイレとお友達となった。しかも、こちらのトイレットペーパーは中国製で硬く一日1回使うのが限度。たぶん、油断して生野菜をバリバリ食べたのがあたったのだろう(水が汚いので細菌が多い)。一昨年から通算22週続いた連続食事記録ついに途絶え、1週間ほど苦しんだ。
「ハジババと1000頭のロバ」その後
「ハジババと1000頭のロバ〜震災・神戸からアフガニスタンへ〜」に対して、多くの方からご感想頂き、感謝し
ます。今思うと何も知らずに書いていた自分が恥ずかしくなりますが、せめて、そのお詫びに本に書いた事実のその後をお伝えしたいと思います。
■ケシの花がなくなった?■
昨年はケシ(麻薬)の生産量が世界一となりましたが、昨年から麻薬撲滅キャンペーンが続いていて、表向きは、減産したようにも映ります。ここナンガルハ
ル州は、アフガン全体で2番目に生産が多い州。でも、撲滅キャンペーンが功を奏したのか、まったく見られない地域もあるし、青空学級の横にケシの花が咲い
ているという笑えない一面にも出くわしました。ただ、麻薬の攻防にはきな臭い話も多く、麻薬の栽培を止めた場合は、その農家に対して奨励金が支払われるはずが、なぜか、そのお金が行政機構のどこかでなくなっていたり、取締りのいざこざから、殺人事件も起きています。ただ言えることは、現地に訪問し
たら、絶対にケシのことは触れないことです。以前は気軽に聞けたのに、相当ピリピリしています。
■ヌーリスタン州、その後■
昨年、ロバで食糧支援を行なった緊急救援に同行した、ヌーリスタン州出身のアレフ氏と久しぶりにカブールで再会しました。彼曰く「SVAがヌーリスタン州に先陣をきって、外国人として初めて救援に入った話を他のNGOが聞き、安全だとわかったことで、いろいろなNGOが入り始めた。今では、道路の
舗装も進んで、昨年の半分の時間で到着することが出来る。」と嬉しそうに話してくれました。緊急救援というと、やりっぱなしが多いし、救援する方の都合で実
施させることが多いのですが、地元の人間にこういって頂けるとやはり、うれしくなります。
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