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アサラマレコム通信
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序章ロバと行く山岳地帯
NO.1無事、現地事務所開所
NO.2アフガンで本格始動
NO.3厳戒態勢の中、活動
NO.4共感の時をめざして
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−アサラマレコム通信 序章−

ロバと行く山岳地帯

SVAから配布された物資をもつ少年  (2001年1月ごろ)SVAとしてアフガニスタンでの第3次食糧配布をどうするか早急に決定し、事業を組み立てる準備を急がなければならない。現地はもっとも寒い時期に入っているので、一刻も早い支援が必要であった。

 今回アフガニスタン入りして実感したのは、国連や他のNGO支援は、治安がしっかりしていて、しかも車で行くことができるところに限られていることであった。そうなると国内避難民キャンプでの配布が手っ取り早いが、そこで安易に配布することは、逆にキャンプに来る国内避難民(自国内にとどまって別の場所に避難している人々)を増やしてしまうことにつながる危惧もあり、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)も配布を控えていた。

(写真)SVAから配布された物資をもつ少年。背後に広がる雄大な山岳地帯も美しい▲

 SVAはむしろ、アフガニスタンは山岳地帯がほとんどを占めているので、都市からの移動手段が悪いところに隠れたニーズがあるに違いないと考えて、WFP(世界食糧計画)が出している資料とも重ね合わせて、食料配布地を検討した。そこで、以下のことを条件に、現地の協力団体であるネジャット・センターとも連絡をとり、緊急食糧支援対象地区を絞り込んでいった。(中略)

 (3月25日)今回行く地域は標高2500メートル以上。車で10時間以上かけてジャララバードからドアブへ。そこが車で到達できる最終地点で、そこからロバや馬を使って8時間近く歩く。段取りを考えたら、最低3日間はかかる。(中略)

 ジャララバード郊外のダムを通過してカブール行きの途中までは、道が舗装されていて車も時速100キロで飛ばす。荷台に人がいるのに信じられないスピードだが、荷台のスタッフも楽しそうだから、しようがない。

 出発後30分で舗装道路が終わり、徐々に道が悪くなっていく。途中、カブールへ行く道を右に折れて、ラグマン州に入る。州都までの道の両側は、小麦が順調に生育していて、ときおりケシ(アヘンの原料)の花が咲いていた。このあたりは緑が美しく、食糧不足とは無縁だ。(中略)

 27日、メジカム村の300家族へ食糧配布をスタート。すでに食糧配給券を配布しており、午前10〜11時ごろにスタートするはずだった。ところが、居住地の村から遠いせいか人の集まりが悪い。歩いて片道6時間以上ぐらいかかるからやむを得ない。早めの昼食をとり、昼過ぎから配布を開始した。やはり、ここでも集まっているのはほとんど男。 ただし、あまりにも村から遠いので、そのまま男性が荷物を運ぶ。デライヌール郡、特にワイゲル村の男性は受けとりだけで、運ぶのは女性だった。思ったより集まってくるロバが少ない。今年は雨や雪が多く川が増水したため、小さなロバでは渡れないからだ。馬をつれてくる人や自分でかつぐ人もいる。(中略)

受け取った食糧をロバにくくりつける  いよいよ、ここから6時間歩いてかかる、ニーラブ・カリアへ。時間通りに進まず、出発が午後二時半近くまでずれこんだ。(中略)

 さっそく歩きだしたら、荷物の運搬と私に対しての配慮で馬を用意してくれた。初めは歩いていたが、みんなの歩くペースは非常に速く、30分後には馬の背中に乗せてもらった。初めての乗馬といったら聞こえがよいが、日本の馬と違って、足をかけるあぶみもなく、簡単な運搬具があり、それにまたがるだけ。後ろの紐と馬のたてがみをつかむように指示された。

(写真)受け取った食糧をロバにくくりつける。 ここからニーラブ・カリアのメジカム村まで 歩いて6〜8時間かかる▲

 しかも、道幅は1メートルあるかないかの渓谷の道で、川底から50メートル以上もある道だ。高所恐怖症の私にとって、とてもルンルン気分とはいかないが乗るしかない。道の険しいところはさすがに歩いた。(中略)

 川を渡る際、今年の水かさが多く、皆ひざから腰くらいまで水につかっていた。ロバもおののいて、水に入ろうとしない。木の枝でお尻を打たれ、ようやく川を渡る。

 さらに道が険しくなる。何度か馬に乗ったが生きた心地がしない。目がくらむような高さだ。結局、2度ほど落馬した。(中略)

 ヌーリスタン州からの帰り道、当初はドアブに滞在予定であったが、予想以上に早く着いたので、車でラグマン州に行くことになった。アフガニスタンでは、時間が遅れることがざらなので、予定が早まるなんて、すごくラッキーだ。車で戻っていくが、よくもまあこんな道を来たものだと感心した。とにかく、車で山登りをしているようなものだ。ナングラジの手前から車のバッテリーの調子が悪い。(中略)

 ようやくラグマン州のそばまで来たが、また、エンスト。最後は、近所の人にバスで引っ張ってもらったが、それでも最終的には止まってしまった。時間はすでに夜10時半近く。「午後9時半から外出禁止なんだよな」とワヒドさんがつぶやくが、皆は特に気にしていない。この余裕には参ってしまい、さすがだと思った。

 そのうち、近くの家をノックして歩き出した。不審者に思われないか心配だったが、親戚を片っ端からあたっている。最終的には、アレフさんの親戚の家に入れてもらい、そこで一泊した。そこの家では、寝ている子どもを起こして、他の建物に連れて行った。日本人の感覚なら、そんな時間に突如訪れたり、子どもを起こして部屋を提供するなんて信じられないが、ここがアフガニスタン人のホスピタリティーだろう。おまけに、こんな夜遅くでも、8人分の夕食を出してくれた。このアフガニスタン人特有のネットワークには、本当に驚かされ、またありがたく思った。

(「ハジババと1000頭のロバ」市川斉著,2003年,筒井書房刊行 本文より抜粋)


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